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メンバー
hyde(ハイド)Vocal, Chorus, Guitar (和歌山県和歌山市出身 1969年1月29日生) ken(ケン)Guitar, Chorus (滋賀県米原市出身 1968年11月28日生) tetsu(テツ)Bass, Chorus(リーダー) (滋賀県米原市出身 1969年10月3日生) yukihiro(ユキヒロ)Drums (千葉県市川市出身 1968年11月24日生) 元メンバー hiro(ヒロ)Guitar - 1992年6月12日脱退 pero(ペロ)Drums - 1992年12月30日脱退 sakura(サクラ)Drums (東京都練馬区出身 1969年11月20日生) - 1997年11月4日脱退 1991年2月頃、大阪でtetsuを中心に結成される。グループ名の「L'Arc〜en〜Ciel」はフランス語では「ラルカンスィエル」「ラフカンスィエル」[lar.kɑ̃.sjɛl]と発音し、「虹」という意味(英語直訳は「the arch in (the) sky」、日本語直訳は「空中のアーチ」)。インディーズ時代は関西を拠点に活動。名前の由来は阪急梅田駅前にあった喫茶店(現在は大丸梅田店の中にある)の名前をtetsuが気に入り、そこから取ったという説が有力である。ファーストライブでは対バン形式ながらも異例の150人を動員した。その後はメンバーチェンジなどもあったが、1993年には1stアルバム『DUNE』を発売しオリコンインディーズアルバムチャートで1位を獲得。インディーズでの人気を不動のものとし、1994年メジャーデビュー。デビューがほぼ同じ時期でジャンル的にも似通っていることなどからよくGLAYと比較されることもあり、両バンドの全盛期は「ラルクファン vs GLAYファン」の構図が見られたこともある。 1994年にビデオシングル『眠りによせて』でメジャーデビュー。インディーズ時代からの元来のファンも多かったが、以来ライブ活動を中心に着実にファンを増やし、1995年には初の日本武道館でのコンサートを行い、1996年発売のアルバム『True』がデビュー後初のオリコン1位を獲得。『True』はその後発売6週目でミリオンセラーに輝くなどラルク人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、1997年2月にドラマーであるsakuraが逮捕され活動を完全に休止してしまう。 同年10月、sakura事件の後の長い休止から復活し、直後発売したシングル『虹』は当時のラルク史上第1位のヒット(当時の自己最高初動・最高売り上げを共に更新)を記録。12月23日に東京ドームで行われた復活コンサート「1997 REINCARNATION」では公演チケットが当時最速の4分で完売と、邦楽業界の第一線へと華々しい復帰を飾る。翌1998年にはアルバム『HEART』の初動ミリオンヒットから幕を開け、シングル『HONEY』『花葬』『浸食 〜lose control〜』の3枚同時、シングル『snow drop』『forbidden lover』の2枚2週連続、1999年にもアルバム『ark』『ray』の2枚同時発売で話題をさらうなどで数々の大ヒットを飛ばし、同時期にヒットを飛ばしたGLAYと共に'90年代後期J-POPシーンのトップを走り続けた。 2001年、シングル『Spirit dreams inside -another dream-」を発売した後に各自がソロ活動などに入り、実質的な活動休止状態になる。一部では解散説も流れ「もうラルクとしての活動は無いんじゃないか」と思われていたが、2003年に行われたライブ「Shibuya Seven Days 2003」で大々的な復活を果たし、最終日には2004年3月のアルバム(SMILE)発売発表で解散説を一蹴。翌年2月4日にシングル『READY STEADY GO』を発売し完全復活した。 2004年からはメインでラルクとしての活動を行いつつ各自がソロ活動をしていたが、2005年中旬からHYDEが新たにバンドメンバーを構成し再始動、acid androidもアルバム発売を発表しソロ活動を再開したためラルクとしての2006年のスケジュールは現在未定になっている。ただHYDEは「2006年には再び活動を終える」と公表している。 メンバーの一人一人が持つ高い演奏技術や楽曲センス、hydeの書く幻想的な詞などがラルク人気の一つとなっており、特に詞は活動初期の「比喩に比喩を重ねた詞」と形容されるほど独特な表現をしている。また、カップリング曲をアルバムに収録しないのも有名で、シングル『DIVE TO BLUE』までは「表題曲+カップリング曲(+カラオケバージョン)」という形態で発売していたが、1998年のシングル3枚同時発売からあまりその形態にこだわらなくなり、2003年には企画盤のベストアルバムとして『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』が発売、一部のファンからは批判も出た。 バンドとしては昔から「いつ解散するか分からない」という空気を醸し出しており、メンバー間の関係も「プライベートではあまり会わない」「携帯電話の番号を知らない」など、「仲が良い」というイメージよりは「あまり仲は良くない」というイメージの方が強く、それも上記の理由の一つとして当てはまるものと思われる。 ラルクと「ヴィジュアル系」 1999年4月19日、NHKの音楽番組「ポップジャム」の5月1日放送分収録中tetsuが2曲演奏する所を1曲でやめるという事態が起こる。事の発端はお笑いコンビ爆笑問題の太田光がラルクのメンバーに対し「ヴィジュアル系」と言った事から。直後演奏した『HEAVEN'S DRIVE』ではtetsuが本来やるはずのコーラスをやらず、演奏後ベースをぞんざいに扱いステージから捌けていった。この事件は一部で「ポップジャム事件」と呼ばれている。因みに演奏予定だったもう一曲もその後できちんと演奏している。 この事件を2004年出版のtetsuへのインタビュー本「哲学。」の中でtetsuは「楽器をぞんざいに扱いキレてそのまま帰ったというのは間違いである」とし、実際は「NHKとラルクのメンバーおよびラルク側のスタッフが話し合った結果このまま収録を続行することができないという結論に達したため、スタッフ等に挨拶をし次の仕事へ向かった」という内容のことを語っている。 実際ラルクのメンバーでhydeやkenなどは「ヴィジュアル系と言われるのは仕方が無い」と語っているが、tetsuは「楽曲をきちんと聴いてもらっていない証拠」と、これを頑なに否定している。ただ初期のラルクでのtetsu始めメンバーを見るとヴィジュアル系の様を呈しているため、その発言に対する批判は多い。 ただラルクの活動の様子を考えると一般に「ヴィジュアル系」との定義となるハードメイクをメンバー全員がしていたのはインディーズ時代〜バンド活動中期までで、メジャーデビューを境にどんどんナチュラルメイク化が進行し、『flower』になるとメンバー全員が普通の格好をしているのが分かる。現在のようになったのは1998年頃からである。 余談ではあるが、ポップジャム事件については太田がバンド名紹介でをラルク・アン・「シェル」と呼称したことも原因となった可能性がある。本来はフランス語のCiel(天)であり日本語にするとスィエルという発音が近いが、シェルと発音すると英語のShell(貝殻)に近くなり、確かに意味が違ってしまうためラルクはこの発音を嫌っている。なお、この事件の後に放送されたHEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMPスペシャルで「本当はスィエルだけど、ダウンタウンだけはシェルと呼んでいいです」とラルクが公認し盛り上がる映像が再放送されている。 この件については1999年に放送されたNHK紅白歌合戦で、司会を務めた中村勘九郎が放送では「ラルク・アン・シエル」と紹介したものの、年明けにゲスト出演したアッコにおまかせにて「フランス語では『シェル』なんだよね」と発言。また、明らかにメンバーが顔合わせ、本番とやる気を見せなかったことに腹を立てたのか(カウントダウンライブと同時進行だったためリハーサルもキャンセルした)「出る気がない人を無理矢理出しちゃダメだよね」と嫌味とも取れる発言をしている。 ちなみに、実際のフランス語発音としては「Ciel」の発音の問題よりも、「L'Arc-en」を「ラルク・アン」と発音や表記する方が非常に違和感がある。前記のように言っている以上フランス語発音からかけ離れているため、「Ciel」を「シエル」「スィエル」「シェル」のどれと言ってもささいな問題(フランス人のネイティブ発音には聞こえない)であると言える。発音問題は「フランス語にどれだけ近いか」というよりも「どれだけラルクの事が好きで、主張を尊重しているか」というファンの深度を図る基準になっていると言えよう。
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