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1984年、映画『Wの悲劇』出演で女優としてデビューし、その後東海テレビの昼の帯ドラマ『華の嵐』『夏の嵐』の俗に言われる『嵐シリーズ(グランドロマン)』に出演して、正統派女優として人気を集めた。その後、女優としての限界を感じたため、活躍の舞台をバラエティー番組、テレビコメンテーターに移す。1998年、パニック障害の治療をかねて栃木県那須に移住。自ら農家を営みながら女優・タレント活動を行いつつ、農業体験をまとめたエッセー集を執筆している。未婚。本人曰く、男性への嗜好はかなりの面食いだそうである。トレードマークとも言える眼鏡を常にかけるようになったのは2001年頃から(本人曰く近視や老眼ではなく、遠視になったからである)。愛車は、農業を営んでいる事から、軽トラックのスズキ・キャリィを自ら運転し愛用している。
本人曰く「マトリックスは200回以上見た」ほどの大のキアヌ・リーブスファン。2005年4月、出演している『とくダネ!』の企画で独占インタビューに成功した。実は同年2月にもインタビューのチャンスがあったのだが、この時はスケジュールが合わず断念(質問を代理人に託した)。2ヶ月越しのインタビュー成功となった。 レギュラー番組 THE・サンデー(日本テレビ)※不定期 とくダネ!:水曜(フジテレビ) ためしてガッテン(NHK総合テレビ)※不定期 中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS) ベリーベリーサタデー(関西テレビ)※不定期 笑っていいとも!(フジテレビ)
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クロースアップ・マジックで人気のあるふじいあきらはマリックの弟子であり、師匠と共にアシスタントとして出演している番組映像も残っている。2001年までアシスタントとして雇われていが、周囲に漏らしていた愚痴が師匠に伝わる事を恐れ、逃げ出してしまった。その後、テレビ番組で師匠との競演を果たし、和解した。
高校卒業後はガス器具メーカーに就職するが、マジックへの夢を達成するために数多くのコンテスト番組で優勝し、ようやく親の理解を得て転職、名古屋のデパートのおもちゃ売り場でマジック用品の店頭販売を始める。 20歳のとき東京に上京し、マジック用品メーカーに勤務する。この年ハワイで初めて開催されたPCAM(環太平洋のマジックアソシエーション)の「クロースアップ部門」コンテストで日本人で初めて優勝。 デパートでのマジック用品店頭販売の後、マジックショップ経営や新人指導、全国でマリックマジック教室を開設。 名門ホテルでのラウンジでクロースアップ・マジックのテーブルホッピングショーを確立しラウンジライブを全国展開する。そのさなかに日本テレビのディレクターと出会いメジャーデビュー。 1988年に『11PM』でテレビにデビュー。クロースアップマジックに超能力的な演出を付け加えた「超魔術」は、マリックが番組制作スタッフらと考え出した造語。 1989年、日本テレビ『木曜スペシャル』でマリック単独の特別番組の放送が始まり、28%を超える視聴率を獲得。「超魔術」「ハンドパワーです」「きてます!!」で一大超魔術ブームを巻き起こした。その後木曜スペシャルは1992年第8弾まで放送された。この年韓国SBSでもマリックのスペシャル番組が組まれ視聴率50.1%を記録する。 1990年にはTM NETWORKの小室哲哉と組んでインストロメンタルアルバム『Psychic ntertainment Sound』を出している。その関係で、小室哲哉のソロツアー『Digitalian is eating breakfast』ファイナルに登場し、スプーン曲げやお札を浮かせるなどのパフォーマンスを行ったこともあった。楽屋での打ち上げでもお札を浮かせるパフォーマンスを行い、特に外国人サポートメンバーに好評だったらしい。 しかし、超魔術の演出があまりに「超能力」的過ぎたために、世間では本物の超能力と信じ込む人も多く、ある時期からいっせいに「インチキ」「全て奇術」との批判が始まった。また本人も心霊現象を取り扱う番組にゲスト出演したことがあり、それもバッシングの火に油を注いだ。 ただし、本人はあくまでも「超魔術」だとしており超能力だとは決して言っていない。演技中にしきりに繰り返した「ハンドパワー」の語も、考えてみれば「手の力」という意味であり、手品であることのほのめかしであった。「超魔術」という言葉を使ったのは、「『手品』や『マジック』では大勢の人の関心を惹くことができないから」という理由からであったという。 とはいえ、当時、本人はマジックであるとも言わず、「テレパシー」「予知」「透視」「念力・念動力」などであるという趣旨の発言も多く、視聴者の誤解を故意に「誘発」(これも本人の用語)したため、批判されたものと思われる。 この時期、マリックは顔面麻痺を発症し、しばらくテレビ界から遠ざかることとなる。 1993年、『浅草橋ヤング洋品店』『元気が出るテレビ』などのバラエティ番組に進出。 1996年、『投稿!特ホウ王国』にて、新しくファニーなキャラクター「栗間太澄」に変身して登場。翌年よりレギュラーで登場した。マリックとは無関係な郵便局員という触れ込みだったが、「みすたまりく」を逆から読んだ芸名と、ハンドパワーを逆直訳した「手力です」のフレーズで正体が分かる仕組みだった。なお、手力は伝統的には手綱(たづな)と同様に「たぢから」と読むが、栗間太澄のキーフレーズとしては「てぢから」である。このころ自ら「マジシャン宣言」をする。以後、再び超魔術師として活動の場を広げる。 1999年、TBSでマリックスペシャル番組が復活。 2000年、『オフレコ』という番組で、マジシャンとしては禁断とされたネタの裏側を見せ視聴者の興味を引き、マリック主役のスペシャル番組『超オフレコ』でマジックのファン層は拡大する。 2001年、『たけしの誰でもピカソ Mr.マリックスペシャル』が放送され、テレビ東京はドーハの悲劇以来の19%を超える視聴率を獲得する。 2003年、『エンタの神様』で松尾幻燈斎というまたも違うキャラクターに変身しレギュラー出演。仙人のキャラクターで自然を相手に超魔術を見せる。現在もTBSのみならず、各局で趣向の違った超魔術演出でスペシャル番組を作り続けている。 2006年、8月29日フジテレビ放送の『Mr.マリック VS 世界の超人 異種格闘技戦』で博多華丸の胃の中にトランプカードの切れ端を入れるという超魔術を見せ、その際に「マリックが胃カメラを使って胃の中のトランプを覗く」というパフォーマンスを行った。しかし胃カメラの挿入は医療行為に相当し、医師の資格を持たないマリックが行うと医師法違反になってしまう。つまり、マリックが医師法に違反したか、実際には胃カメラを挿入していない(=タネが露見した)かのどちらかで、超魔術の企画設定としては問題点を露見してしまった。 古典奇術を現代的手法・演出で蘇らせる能力が高く、毎年公演されるマリックのライブツアーは高い完成度と不思議さ、楽しさが融合している。 近年は、奇術愛好家を増やすための活動や、海外そして国内若手マジシャンとのコラボレーションなども行う。また、歌舞伎、芝居、ユーミンなどのアーティストコンサートの演出も監修する。 余談だが、2002年に富士通、2006年にはダイハツ工業のCMに出演していた。
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2002年開館した。世界最大の「黒潮の海」水槽を含む総展示槽数は77槽。なお、「ちゅら」とは「清[きよ]ら(しい)」の琉球弁読みであり、最近では当て字様に「美ら」とも書かれることがある
「黒潮の海」水槽は、37m×27m、深さ10m、水量7,500t、ギネスブック公認の世界最大の屋内水槽である。 水槽の開口幅は22.5m×8.2mで、これも世界一である。(参考:須磨海浜水族園「波の大水槽」開口幅25m) 世界ランキング 沖縄美ら海水族館 「黒潮の海」(2002年)…水量7,500t リスボン水族館 (ポルトガル)(1998年)……水量6,000t 海遊館 「太平洋水槽」(1990年)……………水量5,400t 国内ランキング 沖縄美ら海水族館 「黒潮の海」(2002年)…水量7,500t 海遊館 「太平洋水槽」(1990年)……………水量5,400t 葛西臨海水族園 「大水槽」(1989年)………水量2,100t 入館料 大人:1800円 高校生:1200円 小中学生:600円 大人年間パスポート:3600円(発行日から1年間有効) 水族館入口のチケット売り場のほかに、名護市にある「道の駅 許田」や那覇空港の観光案内所等では、割引料金で前売券を購入できる。 アクセス バス路線 一般バスによるアクセスは、下のリンクのように沖縄都市モノレール線の旭橋駅からの路線(経由:名護市バスターミナル)による。(琉球バス交通営業路線、沖縄バス営業路線を参照のこと。) 最寄: 「記念公園前」バス停 66番 (本部半島(今帰仁廻り)線) 琉球バス交通 沖縄バス 65番 (本部半島(渡久地廻り)線) 琉球バス交通 沖縄バス 70番 (備瀬線) 琉球バス交通 沖縄バス
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大分県大分市出身。研音所属。
1984年、東亜国内航空(現在の日本航空ジャパン)沖縄キャンペーンガールに選ばれデビュー。シリアスからコメディーに至るまで幅広いジャンルでドラマ・映画に活躍している。 2003年7月11日、自身の主演作「スチュワーデス刑事」のプロデュース・演出を手がけるフジテレビプロデューサー・本間欧彦と入籍した。 2006年7月12日現在、妊娠6ヶ月、11月40歳での高齢出産予定。 テレビドラマ NHK 大河ドラマ 炎立つ(1993年) 連続テレビ小説 こころ(2003年) 大河ドラマ 義経(2005年) 日本テレビ系 婦警候補生物語(1985年) 愛さずにいられない(1991年) 日本テレビ開局40周年記念番組「ゴールデンボーイズ -1960笑売人ブルース-」(1993年) ナースマンがゆく(2004年) 警視庁特殊部隊512(2005年) TBS系 痛快!OL通り(1986年) 都会の森(1990年) 熱血!新入社員宣言(1991年) ジューン・ブライド(1995年) QUIZ(2000年) フジテレビ系 世界で一番君が好き!(1990年) 季節はずれの海岸物語「浜辺のスケッチブック」(1993年) お金がない(1994年) 金曜エンタテイメント「スチュワーデス刑事」シリーズ(1997年 - 2006年 ) ※10年連続で新年最初の作品として放映。 いいひと。(1997年) 甘い結婚(1998年) お水の花道(1999年) 救急ハート治療室(1999年) 新・お水の花道(2001年) 恋愛偏差値〜第3章・彼女の嫌いな彼女〜(2002年) 東京ラブ・シネマ(2003年) 『積木くずし真相』2005年緑川(稲場)サチ役 テレビ朝日系 裏刑事-URADEKA-(1992年) 土曜ワイド劇場「女弁護士朝吹里矢子」シリーズ(1994年 - 2000年) ボディーガード(1997年) 眠れぬ夜を抱いて(2002年) 電池が切れるまで(2004年)
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メンバー
桑田佳祐/リードボーカル、ギター (リーダー) 原由子 /キーボード、ピアノ 松田弘 /ドラムス 関口和之/ベース 野沢秀行/パーカッション 大森隆志/リードギター (2001年8月7日付けで独立) 各メンバーがコーラスを担当、更に野沢以外はメインボーカル曲があり、作詞・作曲もこなす。 シングル曲など主に桑田が作詞曲を担当。 また、連名はデビューから基本的に桑田、大森、原、松田、関口、野沢の順で統一されている。 大森脱退後は桑田、関口、松田、原、野沢の順になっている。 結成〜デビュー 1975年頃、青山学院大学の音楽サークルである“Better Days”(現在でも存続)のメンバーだった桑田を中心に母体となるバンドが結成される(全員が青学時代の学友)。初期の頃桑田はコミックバンドとして活動したかったらしく、“温泉あんまももひきバンド”、“ピストン桑田とシリンダーズ”、“脳卒中”などコンテスト毎に何度もグループ名を変更していたが、桑田の友人が「風呂の中で思いついた」という“サザン・ロック+ファニア・オールスターズ”を組み合わせ“サザンオールスターズ”と名称を思いつき、それを使用する。当初は“桑田佳祐&サザンオールスターズ”と名乗っていたが、後にサザンオールスターズに落ち着く。その後も幾多のメンバーチェンジがあったが、1977年にはアマチュアバンドのコンクールである「ヤマハEastWest'77」に出場、桑田がベストボーカル賞を獲得。この頃にはメンバーもほぼ現在(当時6人)のように固まった。 1978年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』でビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からデビューを果たし、フォークソングやニューミュージックといったジャンルに全く当てはまらない、衝撃的な印象を残す。年内には同曲のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がった。だが、当初は桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言、ジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイル、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などからコミックバンドと評される向きもあった。 だが翌年、3月25日に3rdシングル『いとしのエリー』を発表、その発表後から「本格派のロックバンド」という評価を受け始めるようになり、その人気を確実なものにした。しかし、その中での多忙な生活は桑田を苦しめ、一時期ノイローゼになるほどに疲れきっていた。そして“FIVE ROCK SHOW”と銘打って「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」と発表することになる。 低迷期〜『KAMAKURA』発売 1980年、“FIVE ROCK SHOW”計画がスタート。「5ヶ月の中で毎月1枚ずつシングルを出す」と発表したが、そのシングルはメディアへの露出が大幅に減ったのも影響したのかどれもスマッシュヒットには至らなかった。この期間サザンは1回目のシングル低迷期に入り、アルバムはこの期間中もコンスタントに高い売上を記録しているものの、1981年発売のシングル『Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)』は現在でもサザンの全シングル中ワーストの売り上げを記録している。 そんな低迷期の中にあった1982年、1月21日に発売したシングル『チャコの海岸物語』が大ヒットする。起死回生を賭けた歌謡曲だったが、これが見事に当たり、日本の音楽シーンのトップへと返り咲いた。しかし、この曲は桑田自身も製作時から「イロモノ楽曲」と位置づけている曲であり、ヒットはしたもののバンドとしては微妙な曲となってしまったが、その後も連続してヒットが続いた。 1985年にはサザンとしては初の2枚組オリジナルアルバム『KAMAKURA』を発売。このアルバムの完成度は非常に高く、現在でも「サザン史上最高のアルバム」などと評されている。この頃原が産休に入り、サザンとしての活動も一つの頂点に達してしまったため、一旦活動を休止。桑田はKUWATA BANDとしての活動の後個人ソロを開始し、関口、原もソロ活動に入った。 活動再開〜2度目の休止 1988年6月25日、デビュー10周年の日にシングル『みんなのうた』を発売。サザンとしての活動を本格的に再開した。しかし、一説では「ソロ活動を開始した桑田が、無理矢理安定したヒットが望めるサザンに引き戻された」「その鬱憤を曲として表したものが『みんなのうた』c/wの『おいしいね 〜傑作物語』だ」と囁かれている。この年行われたツアー「-真夏の夜の夢-1988 大復活祭」の西武球場(現・インボイスSEIBUドーム)公演初日で客の入りが悪く、桑田は解散も考えたが踏みとどまった、という話はファンの間でもあまり知られていない。その後は着実にヒット街道を歩み、翌年にはシングル『さよならベイビー』でデビュー11年目にして初のオリコンシングルウィークリーチャート1位を獲得する。 この頃から楽曲製作に関しては「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー+マニピュレーター」という図式が成り立つようになり、現在では「桑田の密室芸」、「ワンマン製作」などとも言われている。特に小林武史とパートナーを組んでいた時などはその傾向が色濃く見られたが、パートナー関係が離れてからも製作はそのようなメンバーで進むようになっていた。 1991年には関口が体調不良という名目で休養に入るが、1992年、7月21日に『シュラバ★ラ★バンバ/君だけに夢をもう一度』『涙のキッス』を2枚同時発売し、サザン初、そしてオリコンとしても初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。『涙のキッス』はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザン初のシングルでのミリオンセラー突破をし、NTT DoCoMoのタイアップに起用され、「ずっと〜」の挿入歌にもなった相乗効果で『シュラバ〜』もヒットした。 ここから暫くサザンはヒットを連発し、1993年には『エロティカ・セブン』がフジテレビ系ドラマ「悪魔のKISS」の主題歌に起用され再びミリオンを超える大ヒットを記録。そんな中桑田がソロ活動を再開、サザンの活動は約半年間休止となった。 活動再開〜再びの低迷 1995年、関口が長期の休養から復帰し、5月22日にシングル『マンピーのG★SPOT』で活動を再開。直後に発売されたシングル『あなただけを 〜Summer Heartbreak〜』はフジテレビの「月9」枠ドラマ「いつかまた逢える」の主題歌として起用。ミリオンを超えるセールスを記録した。その後も1996年に『愛の言霊 〜Spiritual Message』がミリオン突破するなど、サザンの一般に認知される所の黄金期と呼べる時代が到来した。 しかし、1997年あたりからサザンのイメージである「夏」「爽やか」などの売れ線系路線の曲とは程遠い、明らかに売れ線を外したハードロックなどを意識した曲を多くリリースするようになり、ライトファン離れが急速に加速していった。1998年にはベストアルバムリリースブームの中『海のYeah!!』を発売、大ヒットを記録するが、直後発売したオリジナルアルバム『さくら』は暗い作風や上記のようなこともあり、過去3作連続で記録したミリオンを『KAMAKURA』以来で下回り(それでも累計売上は98万枚と僅かに届かなかった)、1999年には初のドームツアーを行い人気の健在振りを示したものの、『イエローマン 〜星の王子様〜』が累計で10万枚を切る(オリジナル盤)などの惨状になった。 『TSUNAMI』記録的ヒット〜活動休止、大森の独立 1999年9月26日、27日、ファンクラブシークレットライブ「'99 SAS事件簿 in 歌舞伎町」を行う。桑田曰く「ファンの空気に触れて刺激を受けた」とのことで、その当時レコーディングしていた曲(桑田ソロ『可愛いミーナ』の元曲など)も方向性がガラッと変わり明るくなったという。翌2000年、1月26日にシングル『TSUNAMI』を発売。この曲は前述のイベントから生まれた曲であり、「売れるものを作った」などと桑田自身も語っている。 当時大人気だったTBSのバラエティ番組『ウンナンのホントコ!』のコーナー『未来日記III』のテーマソングとなり、一躍大ヒットを記録。再発盤のシングルも含め293万枚を売り上げ、オリコン歴代シングル売り上げランキングで3位に、シングルCDとしては現在1位に付けている。この曲を機にサザンは完全復活し、続く『HOTEL PACIFIC』もヒットを記録、夏には桑田の地元である神奈川県茅ヶ崎市の地元住民の署名運動の結果、2日間のスタジアムライブを行った。 しかし、そのライブが終了した直後大森が休養を発表し、翌2001年には正式に独立を発表する。現在も脱退に関しては諸説があるが、メジャーデビューから20年以上メンバーチェンジが無いまま活動を続けてきたサザンの中核メンバーの「卒業」(桑田がこの表現を用いた。モーニング娘。の影響ともみられる)は大きな驚きをもって受け入れられた。その前後から各自がソロ活動を開始。中でも桑田はシングル「波乗りジョニー」「白い恋人達」がそれぞれミリオンを超える大ヒットを飛ばした。 3回目の再開〜現在 2003年6月25日にデビューから25周年を迎え、それを記念してデビューシングルの復刻盤CD「勝手にシンドバッド 胸さわぎのスペシャルボックス」をリリース。同作は1週間で約22万枚を売り上げオリコンウィークリーチャートで1位を記録。発売から25年かけての1位は異例だった。また同日にFMラジオ局のいくつかが24時間サザン特集を実施するなど、今なお幅広い人気を見せ付けている。 7月23日、シングル『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースし活動再開。直後には大規模な野外・スタジアムツアーを行い、復活をアピールした。ただ、ファンの間からは「復活以降のシングルは売れ線ばかり」「『さくら』の頃のようなロックな曲が聞きたい」などとの声も上がっている。2005年には『KAMAKURA』以来の2枚組オリジナルアルバム『キラーストリート』を発売し、『Young Love』以来のミリオンを記録する。 現在の最新作は、2006年8月9日発売の「DIRTY OLD MAN 〜さらば夏よ〜」。 デビューシングル「勝手にシンドバッド」から28年以上経った現在でも、老若男女問わず高い人気を集める、まさに日本のモンスターバンドである。
テーマ:サザンオールスターズ - ジャンル:音楽 |
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